少し間が空いてしまいましたが、今回は40代後半から現在までの話です。


■40代後半 ~変わってきた景色

40代半ば、地域限定職への転換という大きな選択をしました。
この選択は、自分の人生観や仕事観を大きく変えたように思います。

通勤時間が短くなり、時間的にも精神的にも余裕が生まれました。
そして何より、「出世」や「評価」よりも、若手育成や職場の働きやすさに自然と目が向くようになりました。

若い人に仕事の本質をどう理解してもらうか、家事育児と仕事を両立する女性職員仕事の楽しさをどう伝えていくかを考えるようになっていました。

私生活では、息子が所属する少年野球チームの監督を務めることになりました。
親子で同じ目標に向かって過ごした時間は、自分にとってかけがえのない経験でした。

また、少年野球を通じて地域とのつながりも深まりました。
一緒に子供たちの指導をした地域の仲間との信頼関係は、その後も続いており大きな財産になっています。

母の最期も近くで見送ることができました。

職種転換によって失ったものもなかったわけではないですが、後悔したことは一度もありません
その選択が、勤め人としての最後の10年を心から満足のいくものにしてくれたし、最高の状態次の一歩を踏み出すきっかけを与えてくれました。


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■50代 ~次のキャリアを考える

職場では職員たちと毎日充実した時間を過ごし、私生活では息子が卒団した後もチームに残り少年野球の指導を続けました。
そんな生活の転機となったのがコロナ禍でした。

感染拡大をきっかけに、10年以上続けてきた少年野球の指導から退くことを決めました。
世代交代の時期でもあり、一区切りつける時かなと感じたからです。

週末の時間が急に空き、愛犬maruzoと散歩をしながら「この先、自分はどうしていくのか」を真剣に考えるようになりました。

そこで出会ったのが、産業カウンセラー養成講座とキャリアコンサルタント養成講座でした。

最初は、正直なところ「何かを始めなきゃ」「次の仕事につながれば」という軽い気持ちだったと思います。

ただ、学びを進める中で、自分の中に少しずつ変化が起きていきました。

そこで出会った仲間たちは、それまでの仕事人生ではあまり接点のなかった分野の人たちでした。
医療、消防、人事など、多様な経験を持つ人たちと関わる中で、自分の視野が大きく広がっていきました。

また、人の人生に寄り添うカウンセリングというものの奥深さにも強く惹かれていきました。
残りの人生を、この分野で生きていけないだろうか」と考えるようになっていました。

ここからは、全く実務経験のない自分が、本当に新しい世界で食べていけるのかという不安と向き合う日々が続きました。
来る日も来る日も「自分にしかできないことは何か」を考え続けました。


■そして現在・Neutral Zoneへ

2026年、日本政策金融公庫を退職し、「Neutral Zone」を立ち上げました。

振り返ると、キャリアは、その時々の選択の積み重ねでできていくものなのだと感じています。
その選択にそれまでの経験や想いのすべてを乗せこむことで、キャリアは「唯一無二」のものになっていくのかもしれません。

この数回にわたる「長めの自己紹介」も、そんな自分自身の歩みを整理する時間になりました。
ここからどんな新しいキャリアが生まれていくのか・・・偶然の出会い楽しんでやっていきたいと思います。

※同じようにキャリアに悩む方のヒントになればとの思いから、退職への道のりは「note マガジン」でも公開しております。https://note.com/super_echium7543/magazines


【略歴】40~50代
2014年 日本公庫 浦和支店 融資第一課長
     さいたま市 常盤少年野球クラブ監督就任
2019年 日本公庫 さいたま支店 融資第一課長
2022年 産業カウンセラー養成講座開始
2024年 キャリアコンサルタント養成講座開始
2026年 日本政策金融公庫 退職
2026年 就労移行支援事業所へ転職/Neutral Zone 設立