今回は、少し自分自身のことについてつづってみました。
自分がどんな人間なのか開示することで
新しい扉が開くといいなと思っています。
幼少期 ~最初の転機は異国での生活
1970年、国家公務員と英語教師の次男として、
母の実家があった兵庫県神戸市で生まれました。
人見知りではありましたが、活発な子供ではありました。
人生最初の転機は、父の仕事の都合で
米国・ニュージャージー州に家族で引っ越したことです。
人種や言葉、文化の違いの中で生活した3年半の経験は、
良くも悪くも、自分のバックボーンになっています。
学生時代 ~大切なことは野球が教えてくれた
高校・大学では硬式野球部に所属していました。
当時の後楽園球場のそばで育ったからか、
野球は、幼少期から大好きでした。
人種の壁に苦しんだ米国のつらい時期に
救いとなったのも野球でした。
けっして強いチームではなかったですが、
チームワークや準備することの大切さは
この時期に学んだことの一つです。
また、チーム内外で常に競争がある世界なのでで、
相手への敬意や思いやりといった人として大事なことも
自然に身についたように思います。
20代 ~職業人として自分の居場所づくりにもがいた
大学卒業後、日本政策金融公庫(旧 国民金融公庫)
に入りました。
国家公務員であった父親の影響が少なからず
あったのかもしれません。
また、幼少期の異国で感じた母国に対する
強い想いもあったと思います。
公的な機関で働きたいという気持ちが
強かったのだと思います。
時はバブル経済が崩壊しかかっていた時期で、
店舗に赴任した日のうちに返済金の督促の電話を
数件かけさせられたのを覚えています。
20代は、とにかく仕事をしました。
たくさんの経営者の方に会い、
時には怒鳴られたり泣かれたり騙されたりもしました。
夜な夜な数えきれないほどの決算書と格闘もしました。
昔の働き方を賛美するつもりは全くないですが、
ひたすらにストイックに仕事をしました。
この仕事で食べていく、家族を守っていくんだ
という強い気持ちがあったのだと思います。
職業人としての自分の居場所を確立した
時期ではありました。
この続きは、後編で書こうと思います。
【略歴】 幼少期~20代
1970年 兵庫県神戸市生まれ
1976年 東京都文京区立元町小学校 入学
1979年 米国ニュージャージー州へ Lindburgh Elementary School 編入学
1983年 東京都品川区立荏原第一中学校 編入学
1985年 早稲田高等学校入学 硬式野球部所属
1988年 上智大学法学部入学 硬式野球部所属
1992年 国民金融公庫(現・日本政策金融公庫)入庫 大手町支店配属
1996年 日米会話学院(ビジネス英語研修)派遣
1996年 熱田支店に転勤
1998年 総合研究所に転勤



