前回に引き続き、自分自身のことについて書いてみたいと思います。
今回は30代から40代にかけての話です。
30代 ~仕事の充実と違和感
20代にがむしゃらに働いた結果、秘かに希望していた総合研究所という部署に異動することができました。
ここでは、新規開業やマイクロビジネス、女性経営者などの調査研究に携わり、企業への取材や事例執筆を行いました。
この時期に、自分が「書くことが好きだ」ということを自覚しました。
一定のクオリティを求められつつも自由度の高い環境で、非常に充実していた時間でした。
その後、㈶国際金融情報センターという機関へ出向し、海外調査など貴重な経験も積みました。
一方で、支店勤務に戻ると状況は一変します。
日々の融資審査業務は決して嫌いではありませんでしたが、案件は年次とともに難しくなり、忙しさと責任の重さに徐々に疲弊していきました。
この頃から、はっきりと言葉にはできないものの、少しずつ違和感のようなものを感じ始めていたように思います。
40代 ~転機
再び総合研究所に戻り、現場経験を踏まえた視点で企業を捉えることができるようになったことは大きな収穫でした。
ビジネスモデルだけでなく、「人」に焦点を当てた記事を書けるようになっていたのもこの頃です。
その後、初めての管理職として渋谷支店に赴任しました。
規模の大きな店舗で、プレッシャーも強く、思うように結果が出ない時期は非常に苦しいものでした。
その中で、「現場の力 個々の力 を信じる」という考えに行き着きました。
本部の意向に縛られすぎず、部下の力を引き出すことに集中しました。
結果として、2年目には全国トップの営業成績を収めることができました。
この経験が、自分のマネジメントの原点になっています。
その後、本部で営業企画に携わる機会もありましたが、現場との乖離や組織の硬直性に強い違和感を覚えるようになりました。
40代 ~選択
同じ頃、母が倒れ、家族との時間の重みを強く意識するようになりました。
また、息子の野球を通じて地域とのつながりも深まっていました。
そんな中で、キャリアの選択を迫られる場面がありました。
昇進を前提とした働き方を続けるのか、それとも生活や地域との関わりを優先するのか。
最終的に、エリア限定職へ転換し、浦和支店の融資課長として地元に残る道を選びました。
その時点で、いずれこの組織を離れることになるのだろうという感覚は、どこかにあったように思います。
※後編に続きます
【略歴】30~40代
2001年 国際金融情報センター 出向
2001年 総合研究所
2002年 守口支店
2005年 さいたま支店
2007年 総合研究所
2010年 渋谷支店 融資第二(営業)課長
2012年 融資企画部 営業企画グループリーダー
2014年 浦和支店 融資第一(審査)課長


